BASEBALL NOW AND ZEN


ベースボール伝来

アメリカのベースボール委員会が1908年に発表したところによると、ベースボールが生まれた地はニューヨーク郊外のクーパースタウンで、1839年とされている。メキシコ戦争でも活躍したアブナー・ダブルデイ将軍が発案したという事である。しかしそれ以前から野球に酷似したゲームがすでに存在していた事実が現在は知られている。当時のベースボールは守備陣が11人いたとされている。1842年にバットの基本形が登場、それまではただの木片を使用していた。そして1845年に基本的なルールが定まり、初のクラブ・チーム、NYニッカーボッカーズが結成された。しかし当時はイニング数は決まっておらず、先に21点取った方が勝ち、などのルールで行われた。

1854年頃から人気が高まりニューヨークを中心としてたくさんのチームが結成され、新聞記事にも多く登場するようになった。1864年にアル・リーチ選手がエックスフォーズからアスレティクスに移籍する際にお金を受け取った。これがベースボール選手に金銭が支払われた初のケースで、リーチは史上初のプロ選手として知られている。

そして1869年に初のプロ球団、シンシナティ・レッドストッキングスが誕生。このチームは1874年に渡英し、海外遠征を行った。1876年にナショナル・リーグが発足、メジャー・リーグの土台を築いた。その後、1900年にアメリカン・リーグが設立される。

野球が日本に伝わったのが定説としては1873年。野球という名称に関しては俳人・正岡子規が産みの親だという説もあるが、1894年に一高(後の東京大学)の中馬庚が使ったのが最初らしい。

初めてアメリカのプロ野球チームがやってきたのは、1908年。リーチオール・アメリカンというマイナーチームだった。現在の東京六大学野球の基盤となる早稲田、慶応、明治の三大学がリーグを結成したのが1914年であった。その翌年には第一回全国中等野球大会(現在の甲子園大会)が行われる。そして1931年には正力松太郎社長の読売新聞社がMLB選抜チームを招待。レフティー・グローブ、ルー・ゲーリックらが来日する。日本は六大学野球の現役・OBメンバーを集め(若林忠志、松木謙治郎、三原脩、水原茂、苅田久徳ら)試合を行うが17戦全敗であった。

プロ野球誕生

そして何と言っても衝撃的だったのが1934年のMLBオールスターチームの来日だ。この時やってきたメンバーの中にはベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、チャーリー・ゲリンジャーら含まれていた。史上最強と唱われたこのチームに立ち向かう日本は全国から選手を集める事になる。沢村栄治、水原弘、三原脩、中島治康、ヴィクトル・スタルヒンなどが名を連ねたのだが、特に当時17才だった沢村は静岡・草薙で行われた試合でMLB相手に6回まで完封、7回にゲーリックにホームランを打たれ1−0で負けはするも、奪三振9、被安打5の大健闘。沢村の名は今も伝説になっている。

しかしやはり実力の差は明らかで、ベーブ・ルースは18試合で13本ものホームランを打ち全日本を圧倒した。その翌年に初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」がスタートする。三原や中島は軍隊に入隊したため参加できなかったが、このチームは日本では対戦相手がいないため、渡米して野球巡業を行う。このチームがアメリカに着いた時、なぜかトーキョー・ジャイアンツと呼ばれ、今の巨人軍となっていったのだ。

ROCKIN’BASEBALL