オークランド・アスレティクス黄金時代


1972年から74年までワールドシリーズ3連覇を成し遂げ(リーグ優勝は1971年から5年連続)、史上最強のチームと言われたアスレティクス(70年代後半にはレッズが史上最強のチームと言われたが・・・)。

左上から ローリー・フィンガース(投)、ジョー・ルディ(外)、
ヴァイダ・ブルー(投/71年MVP)
左中から レジー・ジャクソン(外/73年ホームラン王とMVP)、
チャーリー・フィンリー(オーナー)、ジーン・テナス(捕・内)
左下から サル・バンドー(内)、キャットフィッシュ・ハンター(投/74、75年最多勝)、
バート・キャンパネリス(内)らそうそうたるメンバーが揃っていただけにチーム内のごたごたも多かったのだ。

(口ひげをたくわえるのがチームの特色、マスタッシュ・ギャングと呼ばれた)

1974年のワールドシリーズが始まる前日、ハンターはオーナーのフィンリーが年俸の一部を払わないため、その分を払わないとFA宣言すると言い出し(結局スタインブレナーと375万ドルの5年契約を交わしヤンキースに移る)、セカンドのマイク・アンドリュースもフィンリーを告訴すると発表した。ぜんまい髭がトレードマークだったフィンガーズは最初の試合の開始前、クラブハウスでオドムと取っ組み合いのケンカを始める始末。その年に新監督だったアルヴィン・ダークは聖書を読んで気を落ち着かせていたと言う。しかしアスレティクスの3勝1敗で迎えた第5戦、そのオドムとフィンガーズの継投で3対2で逃げ切り、ワールドシリーズ3連覇を達成したのだった。

1976年FAが本格的に導入された年、すでにハンター以外にもジャクソンとホルツマンを放出してしまったフィンリーはフィンガーズとルーディーをレッドソックスに、ブルーをヤンキースに金銭トレードしようとするが、これにはキューン・コミッショナーのストップがかかった。しかしアスレティックスの黄金時代は終焉を遂げたのだった。


ローリー・フィンガーズ

そして80年代後半に強いA'sが復活する。89年のワールドシリーズ制覇をはさみリーグ優勝を3年連続で成しえたのだ。この頃の中心選手として打ではマーク・マグワイア(87年、96年、98年、99年ホームラン王)&ホゼ・カンセコ(88年ホームラン王、MVP)のバッシュ・ブラザースとリッキー・ヘンダーソン(90年MVP)。脇役では巧打のカーニー・ランスフォード、堅実な守備のウォルト・ワイス、キャッチャーのテリー・スタインバックらが活躍した。

投では4年連続20勝を挙げたデーヴ・スチュワート(87年最多勝)、ボブ・ウェルチ(90年最多勝、サイヤング賞)とクロザー、デニス・エカーズリー(92年MVP、サイヤング賞)らの豪華メンバーが揃っていた。


クローザーながら1992年のリーグ・MVPに選ばれた
デニス・エカーズリー

1989年はナショナル・リーグの優勝がサンフランシスコ・ジャイアンツだったため、オークランドとサンフランシスコという隣り町同士のワールドシリーズ対決となり盛り上がったのだが、なんと第一戦の試合開始直前に大地震が起き、シリーズは数週間延期されてしまったのだ。水入りとなってしまったシリーズでしらけてしまった感じだったが、見事A'sはジャイアンツをストレートで下し1974年以来のワールドチャンピオンに輝いた


キャットフィッシュ・ハンター

本名はジム・ハンターだが、カンザスシティー・アスレティクスのオーナーだったチャーリー・フィンリーが彼の趣味を聞いた時、キャットフィッシュ(ナマズ)釣りと答えたためにそれ以来キャットフィッシュ・ハンターと呼ばれるようになったのだ。1964年入団時18才だった彼はサインする前年、右足の親指を失うという発砲アクシデントにあっている。アスレティクスがオークランドに移った68年、ツインズ相手に完全試合を達成。71年から5年連続20勝以上を挙げた(75年はヤンキースで23勝)。彼は被爆王でもあり、被本塁打374はAリーグ記録だ。最多勝2回、最優秀防御率1回、サイヤング賞1回。15年の現役通算224勝166敗、防御率3.26。

ハンターは1999年53歳の若さで他界した。その1年前にゲーリック病である事を告知されていた。


レジー・ジャクソン

ミスター・オクトーバーとしてあまりにも有名。初めに1973年アスレティクス時代にワールドシリーズMVPを獲得。そして77年の大噴火が強烈な印象を残した。ドジャースとのシリーズ第4戦、ホームランとダブル(2塁打)でヤンキースの勝利を呼び、対戦成績を3勝1敗とする。第5戦はドジャースが勝ったが最終打席でシリーズ2本目のホームランを放ち、迎えた第6戦。初めの打席はバート・フートンにストレートのファアボール。第2打席では初球を2ランホームラン。第3打席でも初球を打ち2ラン。これでヤンキースは7−3でリードする。さらに駄目押しとなる3ランを8回に放ち、なんと四球を挟み、4打席連続ホームラン。この時以来ついたニックネームがミスター・オクトーバーなのだ。1987年に引退するまで通算ホームランの数は563本。本塁打王4回、MVP1回。

http://www.reggiejackson.com/(公式サイト)

リッキー・ヘンダーソン

通算盗塁記録1位を誇る大スター(その数1403個)。2位のルー・ブロックが938だから、これは前人未到の数字としていつまでも残るのではないか。1958年のクリスマスの日にシカゴで生まれ、2002年のクリスマスにはとうとう43歳になった。以前から44歳までは現役を続けたいと言っていたが、2003年のシーズンはとうとう契約してくれる球団がないまま、独立リーグでプレー。そして7月のドジャースから誘いがかかりメジャー復帰を果たした。

1982年には年間130盗塁でルー・ブロックの記録を破った。1990年MVP、盗塁王計12回。また通算四球の数もベーブ・ルースの2062を抜き、2179で新記録更新中だ。なんとこれまで5つのチーム(オークランド、トロント、パドレス、メッツ、マリナーズ)でプレーオフに進出している。1993年のワールドシリーズ、あのカーターの逆転サヨナラホームランの時も塁上にいたランナーの一人だった。

ROCKIN' BASEBALL