人間本質の理論 三

石原慎太郎について触れる。彼の書いた「NOと言える日本」を読んだのは、私がまだアメリカに住んでいた1990年頃だ。この本で石原は共著のソニー社長・盛田と子供じみた主張を繰り返している。日本人は技術に優れていて、いずれアメリカを追い越すとか、日本は終身雇用制だが、契約社員制が当たり前のアメリカはカンパニーとは言えない、等々の主張である。石原はこの本により、世界に名高い右翼思想を持つ政治家と言うレッテルを張られた。

それにしてもこの二人の主張はことごとく外れてしまった。つまりこの二人は金と権力は持っていたが、世間知らずで、感情のコントロールができず、思ったままの主張を繰り返した。戦争に負けたアメリカに恨みを持ち続け、負け犬の遠吠えとも言える言葉を吐き、いい気になっていた。精神的に未熟だった。余りにも未熟だった。

その後、盛田はこの著書から身を引いた。何を言われても返答を避けた。石原は今でもこの話題になると顔が曇る。「人間本質の理論 一」で説明したとおり、孤独に弱い自己中心的な人間だから、負の感情に流され、的確な判断が出来ないのである。

今や日本は契約社員制度が当たり前、そしてIT技術で大きな遅れを取った。アメリカが開発したインターネットの波に乗り切れず、ルータはアメリカ製が主流、PC生産でも台湾にさえ遅れを取った。石原と盛田の未来像は崩れ去ったのである。

何故か?もちろん私にはわかる。この二人は希望的観測に基づいた未熟な意見しか、発せられなかったからである。

一方、司馬遼太郎という人がいた。彼と石原慎太郎は共に同じ時代を生きた作家である。司馬の書き方は柔らかいけど、言っている事は相当痛烈だ。彼は「民族・宗教・国家は人をバカに変えてしまう」と言っていた。彼の言っていたことは当たっていた。現代のテロ社会、政治家の暴走、一般人の右傾化、これも彼なら予測できていただろう。

民主主義という隠れ蓑で覆われた近代の政治形態。すでに沸騰点に達していることは。「人間本質の理論 二」で触れた。経済の発展、マスメディアの浸透によって民衆のコントロールは容易になった。権力者が更なる権力を蓄えるシステムがすでに確立されているのである。資本主義が格差の拡大を助長するシステムであるのは、ピケティなど読まなくても当たり前にわかる。私にとってもう読むべき本さえ存在しない。名声やエゴに駆り立てられた愚か者が本を書き、何も考えない人はそれに騙されるだけなのである(もちろんそうではない著書もあるが)。

しかし。ここに全てを変える方法がある。エゴを捨て、欲を持たず、ただただ、人のために尽くす、本来の人間らしい生き方をすればいのである。

エゴとは?エゴ=自意識が全くないと、生きてゆく意思さえも失われてしまう。しかしここではエゴを自分勝手な感情を定義づけ、理論を展開させたい。「人間本質の理論 一」で説明したとおり、怒りというのは負の感情であり、それは憎しみを生むだけである。その結果、世界は危険な状態になっていく。「人間本質の理論 二」では自分の周りしか見えないと偏見を持つようになり、右翼的思想に陥ることを解説した。

結果として、それらがエゴを生み、社会の発展を妨げていると私は主張する。主張すると言うより、それを実践している。私はエゴを完全否定する。名声やお金に対する欲、支配欲を否定する。自分のことは二の次であり、人を助けることが最優先である。自分が中心にならなくても良いのである。人がエゴから解放され、世界中の人間が家族であり、お互いに助け合うことだけが人類に課せられた使命なのだと理解し、それを実践できた時、その人は真の成功を手にしたと言える。もはやお金や名声は成功の判断基準ではない。そういった連中が人類を破滅に追いやっているのだから。

テロの世紀となっている21世紀。この状況を救うのは人が頭を使い、感情を理解し、帰属意識と向き合い、そしてエゴを捨てる、これしかないのだ。

私はすでにそれを実践している。だけど期待をしないから、この理論が人に理解されなくても気にしない。ただ冷静に分析し、予測するだけである。

あとがき

日本人は正直、頭が良くない。アメリカ人と比較するとかなり差があると思う。よく自分の身の回りを見て欲しい。身に着けているもの、住んでいる家、ありとあらゆる家電、例えばテレビ、PC、電子レンジ、洗濯機、ステレオ、車、電車、飛行機、そしてインターネット・・。殆どがアメリカ、広範囲で言えば西洋で発明され、開発された物だ。日本人が開発した物は非常に少ない。民主主義を含む政治形態でさえ、そうなのである。或いは音楽もだ。私は日本人として誇りがあるから和楽器を弾くが普通、若者はギターやピアノを習う。野球もサッカーもそう。全てといって良いくらい西洋の物に囲まれている。

アメリカ人の頭の良さには日本人の非ではない。そして日本人は扱い易い民族でもある。和を重んじる等、言い聞かされているが、つまりは絶対服従という封建社会の名残りだろう。だから選挙に行く事が義務だ、なんて事を言う人まで現れる。選挙に行くも選択、行かないも選択、それが民主主義である。そこから理解するべきであろう。

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