ロサンジェルス・ドジャース 70's-80's


ロサンジェルス・ドジャースは70年代にも3度のリーグ優勝を果たしている。74年にサイヤング賞に輝いたマイク・マーシャル、ドン・サットン、バート・フートンらの投手陣、74年にMVPを獲得したスティーヴ・ガーヴィー(ファースト)、デーヴ・ロープス(セカンド)、ロン・セイ(サード)、ビル・ラッセル(ショート)の内野陣は守備も含め強力だった。さらにダスティー・ベイカー、レジー・スミス(後に日本でもプレー)、スティーヴ・イェーガーらがいたのだ。特に77年はガーヴィー33本、スミス32本、ベイカーとセイが30本ずつ、元祖30ホームランカルテットが産まれた。この年ドジャースのチームホームラン数は記録的な191本。81年になるとわずか82本に減ってしまったのだから当時のこの打線がいかにすごかったかがわかる。現代のホームランラッシュと比較すると大した事に思えないかもしれないが(2000年アストロズが249本で記録を作った)。

しかしそれでも70年代はワールドシリーズを制覇する事はなかった。その意味でトム・ラソーダが最も輝いていたのは80年代だろう。
←左上 スティーヴ・ガーヴィー   右上 レジー・スミス
  左下 ダスティー・ベイカー    右下 ロン・セイ

1981年の開幕戦、先発予定だったジェリー・ルイスが怪我をし、急遽メキシコ生まれのルーキーが起用された。日本でも怪童と紹介された若干19才のフェルナンド・ヴァレンズエラだった(年齢はごまかしていたらしいが)。この試合でアストロズを完封した後、フェルナンドマニアを巻き起こすことになったのだ。結局13勝に終わったが奪三振180で史上初のサイヤング賞と新人王の同時受賞。ドジャースは15年振りにワールドシリーズも制した。

1982年は僕が初めてドジャースタジアムに行った年だが、この年に新人王となるスティーヴ・サックスに女性ファンが黄色い声援を送っていたのが印象的だ。この年を最後にガーヴィーとセイはドジャースを去るが83年、サックスら若手を中心にシーズンを乗り切り、リーグ優勝。さらに85年にもリーグ優勝。しかしいずれもワールドシリーズでは若い選手が多かったせいか、敗退してしまった。
                               

  1981年ワールドシリーズ制覇の瞬間→(左よりヴァレンズエラ、イェーガー、ガーヴィー)





 再びドジャースがワールドシリーズを制したのは88年だった。この年はなんと言っても23勝を挙げたオーレル・ハーシャイザーの活躍が目立った。MVPこそキャッチャーのカーク・ギブソンに持って行かれたが、最多勝とサイヤング賞に輝いた(アメリカではサイヤング賞は投手のMVPと捕らえられていてピッチャーがMVPを受賞する事は滅多にない)。そして有名なワールドシリーズ第1戦、ギブソンの代打サヨナラホームランで先手を取ったドジャースはアスレティックスを倒し、六度目のワールドチャンピオンになったのだ。タイガースでワールドシリーズ制覇の経験があったギブソンはこのシリーズの前に足を故障、スタメンから外れた。9回の裏、代打で登場しホームランを打ち、足を引きずりながら、そして右手拳を振り上げながらベース1周するギブソンの姿はドジャースタジアムのチケットにも印刷されたほどのメモラブル・モーメントなのだ。ギブソンはデトロイトでも荒っぽい事で有名だったし、人間的な評判は良いとは言えなかったが、やはり頼れる存在ではあったようだ。マウンドを降りると紳士そのもののハーシャイザーとは実に対照的だったと言える。

そして1995年、野茂がドジャースに入団し、一気に日本人の注目が集まる事になったドジャースだが、ワールドシリーズ進出は88年以来、果たしていない。


オーレル・ハーシャイザー

1988年の8月30日から9月28日まで投げた59イニング連続無失点というMLB記録を持つ。普段は非常におとなしい性格なのにマウンドでは闘志を剥き出しになり、自分を叱咤するために声を出すところからブルドッグのあだ名がついた。1958年生まれでドジャース入団は1980年。88年は23勝で最多勝とサイヤング賞受賞。トレードでインディアンスなどで投げた後、2000年のシーズン、41歳の年、再びドジャースに戻るがわずか1勝に終わり引退した。
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