プロ野球関連・投稿1999年版

 横浜ベイスターズファンの僕は「シピン三世」のニックネームでネット上、様々なところへ投稿しています。これらはそのごく一部です(タイトルをクリックしてください)。

投手の肩/肘への負担について   日米球種比較
外国人選手について         日本の野球はそんなもんか!(1)〜(3)
故意死球について          長嶋にまつわるエトセトラ   
王のサインと野村のサイン 投手中心のチームは短期決戦に弱い?&左対左の不思議
佐々木主浩に送るエール

投手の肩/肘への負担について:1999/8

1975、76年に巨人でプレーしたデーブ・ジョンソンの名を聞いた事があると思います。彼はその後メジャーで監督として引っ張りだことなり、メッツ、レッズ、オリオールズと優勝に導き今年からドジャースの監督になりました。僕の大好きな監督ですが一つとても印象的な投手起用についての方針があります。

'84年にメッツの監督時代とんでもないピッチャーが現れました。元祖ドクターKのドワイト・グッデン(現インディアンス)です。19歳で史上最年少の新人王を獲得しましたがルーキーで奪三振王も史上初、成績は17勝9敗、防御率2.60。そして翌年は24勝4敗、防御率1.53という成績で最年少のサイ・ヤング賞に輝きました。

特に二年目の20歳の時は手がつけられないくらい凄かったのでファンはもっとグッデンに投げさせろ、と騒いだのです。しかしジョンソンはピッチャーというのは20前後の年令でシーズン通して投げさせると、いずれその負担が投手生命を短くするから、と言ってそんなに投げさせませんでした。彼の話しでは22、3歳にならないと体がプロで多く投げる様にならないという事です。

その辺りからメジャーでは先発投手のタマ数制限などが常識になり分業制が確立されてきました。現代では完投など意味のない事でメジャーで投げていたピッチャーが日本に来て完投をするとボーナスが貰えると聞いて驚きます。試合数の違いなどもありメジャーのやり方が日本にそのまま当てはまるとは思いませんが、昨年から今年にかけてメジャーを「たらいまわし」にされた感のある野茂などは日本で酷使されたが為もう寿命だと思われていたのです。近鉄時代に200球投げた試合があったなどとアメリカ人は驚いていました。

権藤さんのやり方は正しいと思います。なにせ多く投げ過ぎて投手寿命を短くしてしまう可能性は常にあるのです。ベストな方法を取った方が賢明です。この事は権藤さん自身が一番良く知っているはずです。話しが少し外れますがピッチャー、特に酷使されるピッチャーは選手生命が短くなる可能性が大でその分、年俸も高いのです。佐々木が球界一の年俸をもらってますがこれも当然だと思います。
 
このピッチャーの使われ方が最近気になる理由があります。それは松坂です。まだ18歳ですからジョンソン監督が正しければこれから先、どうなるのでしょうか。かつての高校生上がりの怪物ルーキー尾崎行雄の二の舞いにならなければ良いのですが.....。

日米球種比較

それでは先程述べました球種日米比較を載せます。以前確かシンキング・ファストボールとは何?という質問もあったと思いますがおくらばせながらその説明もありますので.....。このチャートに関してAOLのメッセージボード上で協力をいただいたアメリカ名門大USC野球部のボボ・ブラジル投手(日本人ですが本人はこれが本名だと言い張っています)とYAHOOメジャーリーグ掲示板で活躍されているguidryさんに感謝します。

☆直球/速球=FASTBALL
 アメリカでは3種類に分類されます。
 (1)2 SEAM FASTBALLム−ヴィング・ファストボール、またはシンキング・ファストボール)      
    =ボールの縫い目の狭くなったところに指を置き投げる。バックスピンがかかるので落ち気味になったりスライダー気味に変化したりする速球。
 (2)2 SEAM FASTBALLカット・ファストボール、またはカッター
    =上記の握りで指のプレッシャーを微妙に変える。スライダーやシュートよりベースの手前で変化する(グレッグ・マダックスが得意としている高等技術)。
 (3)4 SEAM FASTBALL=縫い目の広がった部分に指をかける。ホップ気味で伸びのある速球(参考までに言うと実際にボールが浮き上がるという事は絶対にないそうだ)。一般に言う直球。
 
日本で言うシュート回転の速球とはただ普通に(3)を投げた時に肩の開きが早すぎる等の理由で打ち易い(飛び易い)回転がついてしまうだけのモノです。またスライダー系統のボールとは(1)または(2)をいい加減に言っているだけの様です。

<カーブ=CURVE BALL
昔で言うドロップ。スクリューボールより速くスライダーより遅い。右対右の場合、時計で言うと12時から6時(つまり真下)〜1時から7時の角度で落ちるのが主流。ちなみにスクリューはスピンが逆。

<スライダー=SLIDER 
本来は横にすべる様に曲がる(右対右の場合外角へ)変化球。カーヴよりもスピードがあり打者の手元で鋭く曲がる。

 落合博満氏が冗談まじりに「最近は何がカーブで何がスライダーなんだかわかんない」と言ってましたが本来は違うものなのに混同気味に扱われている様です。アメリカではそのあたりの球種をSLURVE(スラーヴ)またはCURVE/SLIDER=カーヴ・スラッシュ・スライダー)という言い方でスライダーの様なカーブの様な変化球を分類する事もあります。

さらに日本ではスライダーより速球に近い「マッスラ」=まっすぐ+スライダー、という言い方があります(アメリカでもHARDSLIDERという名称もありますが要するに2SEAM FASTBALLの事でしょう)。
 
▽フォークボール=SPLITTER/SPLIT FINGER FASTBALL(高速フォ−ク), FORKBALL

指ではさむ落ちる変化球。結構スピードがあっても急激に落ちる。スピードがあればある程(落ちるまで)直球との区別がつきにくい。指に無理な力がかかるので多投すると握力に影響を与える。そして肘を痛める可能性が大きい。メジャーでは先発投手は1試合20球程度にとどめる事が多い。特に腕がスリークオーター気味に角度が落ちた状態で投げると、余計負担がかかると言われている。なお、厳密にフォークとスプリッターを区別している人もいる。以下はYAHOOのMLB掲示板で投稿されたguidryさんの記事から。

 「スプリットとフォークは同じ種類の球なので一緒にしてしまう人も多いのですが。
例えば元キャッチャーで現解説者のティム・マッカーヴァーの著書ではスプリットの方がより速く、落差が小さく、フォークはむしろ速球よりチェンジアップに近く、落差が大きいという区別を付けていて、握りの深さによってその差をつけているそうです。日本人の例で言うと伊良部などの高速フォークと呼ばれているのがスプリッター、野茂がフォークといったところでしょうか。」

 フォークは空振りをさせるためだが、スプリットは元来、ゴロを打たせるボールとして開発されたらしい。
 
>シュート=SINKER/INSIDE SLIDER
普通のスライダーが右対右の場合、外角に曲がるのに対しその逆、内角に鋭く曲がる(それゆえ内角に投げるのが主流)。実はシュートという呼び名は本来、日本だけのものであった。最近はアメリカでも通じるらしいがこの球種についてはアメリカではSINKERと呼ばれるのが普通。カット・ファストボールと同じに分類する人もいる。

その他、スローカーヴの様にスピードを極端に落としたチェンジ・アップ(これはボールを指ではさまず投げる、人指し指と親指ではさんで投げるサークル・チェンジというのもある)、指の関節を曲げどこに曲がるか分からない遅いナックル・ボール(かつてのフィル・ニ−クロで有名)、左ピッチャー特有の右バッタ−の外角に落ちながら変化するスクリュー・ボールなど。
            
*カーヴ、スライダーはボールを握った手の人指し指、中指と親指で変化をつけるので比較的投げやすいのです。シュートはその逆なので無理なスピンをつけなくてはならずコントロールをつけるのが大変です。評論家によるとかつて最も打ちにくい変化球は大洋の平松が投げたカミソリ・シュートだろう、と言われてますがシュートはマスターする難しさからあまり投げる人がいません。野村監督はこのシュートをヤクルト投手陣に薦めて、それをマスターした川崎は最多勝利のタイトルを獲得しました。しかしその後川崎が故障がちになってしまったところを見るとやはり多投すると腕に負担がかかるのかも知れません。よって先発投手はスライダーと速球を中心にピッチングを組み立てる傾向が続いています(例、斉藤隆、斉藤雅樹、伊藤智、松坂等ほとんどの先発投手)。

外国人選手について:1999/8

日本で活躍する外国人選手はその殆どがメジャーでは通用しないと思われる選手です。今やジャイアンツの4番におさまったマルティネスなど今年巨人に拾われるまでメキシカン・リーグでプレイしていました。つまり全くメジャーの球団は彼に興味さえなかったというわけです。メキシカン・リーグなんてノンプロみたいなもんです。西武がマルティネスを解雇したのは契約更改でもめたからだ、という説もありますがこれは信じられません。メジャーの平均年俸はだいたい100万ドル(1億2千万円)ほどですがマイナーは2〜3万ドルくらいと言われます。ましてやメキシカン・リーグなんてそれ以下でしょう。ジャイアンツに入ったマルティネスが張り切るはずです。ですから契約でもめたとは思えませんしマルティネス自身、メジャーに行けるとは思ってなかったでしょう。日本でプレーし続けたかったはずです。

西武が日本シリーズで使えないから解雇した、という説が有力です。DHではスタメンに出せても守りはダメ=シリーズでは使えない、と決めつけていたからでしょう。彼もポゾもドミニカ出身ですね。そしてガルべスもそうです。ドミニカは貧しい小国で今でも子供達は木を折ってバットを作り、紙でグローブを作って野球をします。サミ−・ソ−サという怪物が現われ、これから変わると思いますが、今はまだまだちゃんとした指導者もあまりいないはずです。だからガルべスは野球をやってますがあの性格ではメジャーではやってゆけません。
 
アメリカの高校は一つのスポーツだけをやらせずに幾つかの競技を教えるのが当たり前です。いくつかのスポーツをやらせて適応できるスポーツを選びます。だからボー・ジャクソンやディオン・サンダースなど冬はアメフト、夏は野球の2つのプロ・スポーツをこなす万能選手も出てくるわけです。もしガルべスがアメリカの学校に行っていたらその性格ではピッチャーは無理だからアメフトかボクサーにでも転向させられていたでしょう。

アメリカでは野球選手にゲーム中、常に落ち着き(POISE)を持ってプレイする様に教えます。なぜなら野球は生き物(と言ったのは長島監督ですが)の様に選手を飲み込んでしまうスポーツだからです。解説者がよく試合の流れ、という言葉を繰り返し言いますがアメリカ人の考え方は違います。常に落ち着いてプレーしていれば流れに飲まれる事はないのです。優位にたったからと言ってはしゃいでたり、劣勢だからと言ってしゅんとしてたりするからその状況に飲まれるのです。ローズが三振した後ガムを膨らませてダグアウトに戻ってくるシーンを見た事があると思います。あれはやる気がないのでは無く、くやしがって自分の精神状態を乱すより落ち着かせた方が試合に集中できるからなのです。メジャーでプレーした選手はホームランを打っても何事もなかった様にホームに返ってくる事が多いですよね。いちいち試合中に喜怒哀楽を出していては精神的、心理的に乱れ、本来の力を出せない、というのがアメリカの考え方です。
 
ガルべスみたいなピッチャーはメジャーにいません。彼は日本に来る前、台湾でプレーしてましたね。ホームランを打った選手を万歳で出迎える長島監督はメジャーの監督にはなれません(もちろんそれ以前の問題ですが)。勝った瞬間だけ、はしゃげばいいのです。ローズの様に.......。
ホームランを打ってもいつもブスっとしているぺタジーニですが彼は2年連続AAA(トリプルA)でMVPを獲得したそうです。AAAとはマイナー、つまり二軍のことですが(ダイエーのぺドラザなどさらにその下のAAでやっていた)。温厚なクリスチャンで性格も良く守備にも欠陥は無いぺタジーニは何故、メジャーで通用しないのでしょう?希望的推測ですがまだ28歳なので日本で実績を挙げたらメジャーに再び挑戦するのではないでしょうか。ベイスターズ・ファンとしては早くアメリカへ帰ってくれ!という感じですがこういった例は今までもあります。セシル・フィルダ−が有名ですね。阪神で1年プレーした後メジャーのスターになりました。もっと新しいところでは93年に中日でプレーしたマット・ステア−ズ。現在、オークランド・アスレティックスの5番を打ち、本29、打点84、打率.255という成績でこの夏、旋風を巻き起こしているチームの立て役者でもあります。日本では6本しかホームランを打てませんでした。

日本の野球はそんなもんか!(1):1999/6

From: ボボ・ブラジル(この投稿に関しては僕のものではなく、球種比較でも協力をいただいたアメリカ名門大野球部の選手のものです)

俺は以前から、気になっている事がある。この事は、いっけん見逃しやすいが、俺は気になる。で、ぜひとも、”野球ファンの皆さん”に考えてもらおうと思う。これは一見、気がつかず見逃しやすいが.......

それは、”日本人選手には、喜怒哀楽が多すぎる”という事。

で、それがどういう事か説明したい。まず、あまり多くの人が踏み込まない”メンタル”に、ついて考えてみようと思う。皆知っているように、野球のパフォーマンスには、”技術と身体能力とメンタル”が大事だ。この三つの事柄は、”良いパフォーマンス”には不可欠で、素晴らしい選手にはだいたいこれらの事が備わっている。で、俺は、メンタルに焦点をあてたいと思う。
まず、メジャーの選手と身体能力が違うのは、皆知っているが、俺はメンタルも違うと思う。メンタル面でも、メジャーが上だと思う。圧倒している。アメリカの野球は、”POISE”(平静、安定、落ち着き)を大事にする。だから、言いかえれば、常に無表情でプレーしている。誰もブスッととか、ふてくされて、という意味ではない。状況がどうなろうと、態度をそのたびに、顔にださないという事だ。そうする事によってコンスタントなプレーが出来る。なぜなら、もし監督がベンチでいらだっていたり、がっくりしたり、またエースピッチャーが怒ったり、気落ちしたのを表情に出したりするとそれが全ての選手に影響するからだ。良い影響ならまだしも、悪影響は、プレーに最低である。
だから、サヨナラホームランとか以外は”POISE”をもってプレーしてもらいたい。だいたい日本は、監督、選手と喜怒哀楽を出しすぎだ。少しのピンチで、監督がしかめっ面になったり、ベンチに戻る時に、ピッチャーがにっこりしたり、バッターもストライク、ボールの判定に驚いてみるとか、情けない。まあ、情けないというか”レベルが低い”。もっとそういう事を考えなあかん。
今、これを読んでいる段階で”そんなん関係ないわ”って思ってたら、そいつは、アホ。なんも分かってない。少なくとも、メンタルを軽視するようじゃ、話にならん。アメリカの選手は、プロ、カレッジと”POISE”を大事にする。
YANKEESの監督とか、ピッチャーは、グラビン(BRAVES)とか、野茂、バッターではジーター(YANKEES)、ラミレス(INDIANS)なんかをみれば特に参考になると、思う。日本だと、イチロー、前田(広島カープ)なんかがいい。ほんとに、メンタル面の向上がいると思う。
だから、日米野球で、”メジャーの選手は凄い表情をしてプレーしている”と、へたれな事をぬかすのだ。1999年で、これだけの差。あと何年後に、”メンタル面”で、おいつけるのだろう。

日本の野球はそんなもんか!(2):1999/6

From: シピン三世
全くその通り。言い方は荒いが実に的を得た意見で感心しました。鋭い洞察力です。日米の比較に関して僕は専門家みたいなもんだけど、ただそれを言ったらおしまいだと思うんで機会をうかがってしか話さない。今回良いチャンスなので思い切って話そうと思います。皆さんも考えてみてください。

アメリカでは試合の流れ云々などと言う解説者はいない。そう、アメリカ人は分かっているのである、野球をプレイする時メンタルな要素が勝負を左右してしまう事を。これに関しては前の投稿の指摘する通り。だからメジャーリーガーはガムを噛み、おしゃれをし、ジョークを言い野球をエンジョイしようとする。メジャーリーグのMBでもアップしたがケン・グリフィーJR.などいかにも楽しんでいる様に見える。だけどアメリカ人も野球の恐さは知っている。86年のシーズン、プレーオフで逆転ホームランを打たれたエンジェルスのムーアはピストル自殺をしてしまった。へたをすれば生きるか死ぬか、なのである。
 
アメリカ人は野球を科学し、心理学さえも用いる。投手王国アトランタ・ブレーブスには投手陣専属のカウンセラーがいて心理面を支えている。長年、伝統でもある武士道に乗っ取った精神論で舶来の団体球技さえも語ってしまう日本人はそんな事はしない。

野球の話題を離れてしまうのでこれ以上は書かない。僕は野球とベースボール、両方を楽しんでいる。日本の野球も面白いのだから。だけど日本の野球関係者は団体競技ではメンタル面の明暗が一人の選手から全員に伝わる、という事に気付かないのだろうか。

日本の野球はそんなもんか!(3)1999/6

From: シピン三世
95年に野茂投手がメジャーで活躍しだしてからアメリカでもワールド・シリーズの分布図を塗り替えてもいい頃ではないか?という意見もあります。つまり日本チームも参加させても良いかも、という事です。僕は96年以降については分かりませんがその時は確かにそのような話が出てました(TV中継の時に解説者が言ってた)。アメリカは新しい試みに対してとても積極的です。来年度の公式試合も日本でやりたがっているのに日本側が消極的です。なんでもメジャーの試合なんか見たら日本のファンが逃げてしまうとか.....。でもメジャー側は歩み寄ってきてると思うんだけど。

あるいはワ−ルドカップ・ベースボールを開催できたら、野茂と古田のオリンピックバッテリーが復活し、ガルべスが投げ、ソ−サが打つというドミニカ・チームなんてのもあるかも知れません。チャンホ−・パークやソン・ドンヨル、リ・ジョンボムを擁する韓国も健闘するだろうし、ヘルナンデス兄弟やカンセコ、オドーニャスのいるキューバなんて強そう......。そんな事を思うと来年オリンピックなんていいからワールド・カップをやってくれー、という気になります...よねぇ。

将来、いずれかの形でやると僕は確信してます。なぜならアメリカという所はそういう事をやるのが好きだから。
しかしノモ・ブームの時は盛り上がったにせよ、まだ時期尚早でしょう、特に日本からすると....。イチローや由伸ならメジャーでも通用するでしょうが。彼等が向こうに行って盛り上げてくれたらまたこういう話も進展するんだけど。
そうして考えてみると日米のブ厚い壁を破るのにはメンタル面での強化が絶対要素だと思う。日本の野球とアメリカの野球を長年見てると、日本は勝つための野球をするのが下手だという事に気づいちゃうんですよ。僕はスポーツ選手でもなんでもないんだけどアメリカの大学で心理学を勉強してて、言わせてもらえばこの部門での日本の遅れはひどいですよ。
このMBは世界中からアクセスできるし、将来の野球選手も読むかも、あるいは少年野球チームの監督なんて人もいるかも知れない。だから多くの人には分かってもらえないかも知れないけどあえて、苦言を呈してるわけです。心から日本の野球のレベル向上を願って.....。いつか日本人チームが世界の強豪と堂々と渡り合える日を夢見て.....。

もちろん僕はただのファンだからそういう試合を見たいというだけですが。

 故意死球について:1999/7

今年の7月18日、甲子園で行われた阪神ー巨人戦においてガルべスが坪井にわざと当ててます。これは本人が堂々と宣言しました。「狙った」と。しかし実はこれには理由があります。それは巨人が大差をつけて勝っていて、終盤に入ってるのに阪神の選手が盗塁したからです。実はアメリカではそれが暗黙の了解なのです。つまりワンサイド・ゲームになった時、負けてるチームが盗塁など細かい作戦を取る事はいけない事とされているからです。
その理由は1、大量点差をひっくり返すには連打を重ねるか、ランナーをためてホームランを打つか、どちらかなので試合を長引かせるような盗塁はするべきではないから。
2、ピッチャーはノーマークで投げるのに盗塁をすると盗塁の価値が下がるから。つまりそんな場面でばかり盗塁する選手が盗塁王になったら意味がないからです。

長嶋にまつわるエトセトラ:1999/8

<<<<<<皆さん、「アミ−ゴ」という言葉を知っていますか?

「知ってるよ。鈴木あみの事でしょ。」
   と思ったあなた、この先は読まなくて結構です。

「もちろん、知ってるよ。スペイン語で<友だち>という意味だろ。昔のサンタナのアルバムでもあったね!」
   と言ったあなた、先へお進みください。

さて昨年、大事件を起こし日本を追い出されながらもナベツネの策略で再びジャイアンツに舞い戻ったガルべス。キャンプで長嶋監督は以前と変わらぬガルべスへの信頼と愛情を示すため語りかけた。
「やあ!ドミンゴ!今年はハッピーべ−スボールですよ、期待してますよ、ハイ!」
しかしガルべスには何の事やらさっぱり分からなかった。

そのやり取りを聞いていた記者達の会話:

「なんで長嶋監督はドミンゴってガルべスに語りかけるんだ?バルビーノ・ガルべスっていう名前だろ」
「俺も不思議に思ってたんだけどな、どうやら勘違いしてるみたいなんだよ。ほんとはアミ−ゴって言いたいんだろ。」
「.....................................................。」

もちろん長嶋監督の勘違いを指摘できる記者などいるわけも無く、勘違いは続いた。

シーズンが始まり、4月、5月と低迷したジャイアンツはまたしてもスペイン語を話すドミニカ出身の助っ人を呼び寄せた。元西武のマルティネスである。
あいさつに訪れたマルティネスに長嶋監督は言った。

「やあ、ドミンゴ!マイ・ドミンゴ!ウエルカム・ツー・ザ・ジャイアンツ。期待してますよ〜!」

その言葉に長嶋監督の愛情と友情を感じたマルちゃんはおおいに張りきり、今日も4番の座にどっかり座り快打を連発している。

そう、彼の名前はドミンゴ・マルティネスであった.......。
 
脚本は加えましたがこの話は本当です。長嶋監督のカン違いは恐ろしいくらい超人的なのです。我々の常識では説明できない未知の力を持っているに違いありません。そういえば5月頃、言っていました。
 
「7月になったら上原はうちのスーパーエースですよ。」
 
「何言ってんだ、このロングアイランド!んなわけねーだろ、バ〜カ!」と心の中であざ笑った俺だが、今ではスピードの上原多香子を見ただけでムカつく.......。

「いやー、まだまだ。スーパーミラクルが起きますよ、これから!」という長嶋さんって、、、、

王のサインと野村のサイン:1999/5

王貞治にサインをもらった事がある。
王さんがまだ現役だった頃、当時の後楽園球場へよく試合を観に行った。小学校の同級生と見に行った巨人戦の試合後、王選手の周りに子供達が集まっているのを見つけた。僕もサインをもらおうとその長い列の後ろに並んだ。多分1時間程たった頃ではないだろうか、やっと僕らの順番が来て、目の前の王選手にサイン帳を渡した。王選手は無表情で何も言わないでサインをしてくれた。「ありがとうございました。」と言った僕にかすかにうなずいてくれたという記憶が残っている。
その時、一人のおじさんが僕ら二人に話し掛けてきた。なぜか野球の話題に花を咲かせた僕らはおじさんとすっかり意気投合した。やがて僕らが同じ方角へ帰る事を知ったおじさんは車で自宅まで送ってくれると言い出したのである。
車を運転しながらおじさんは言った。自分にも同じ年頃の子供がいるけど家が遠いのでナイターに連れて来れない、と。確か群馬かどこかに住んでいると言ったと思う。埼玉の僕の家まで送ってもらい、車を降りる時、僕はサイン帳の王選手のサインをていねいに切り取りおじさんに渡した。「お子さんにあげてください、僕らは家が近いのでいつでも来れますから」と言って。

しかし王選手のサインは二度ともらえなかった。

野村克也のサインをもらった事がある。
当時、南海の選手兼監督だった野村選手のサインをもらいに後楽園の試合後、南海の宿舎へ出向いた。ホテルの前の花壇に腰を下ろした野村選手はサインだけでなく僕らに優しい声で話しかけてくれた。周りにいたのは5、6人の小、中学生だけだった。話の内容までは記憶に残って無いがとても親しみやすかったという印象は今も残っている。
 
その後、どういう運命だかアメリカに渡った僕は野村さんの実の息子と仕事をする機会があった。この話しをすると彼は嬉しそうに微笑んでくれた。

少年時代から大洋(横浜)ファンだった僕は大洋の選手にもたくさん逢った。しかしやはりこの二人の偉大な野球人に逢った時の印象は強烈だ。

そんな昔の事を思い出しながらふと、思った。今年はダイエー対阪神の日本シリーズも悪くないな、と。

こんな事を思い出したのも、今晩の巨人ー横浜戦が早く終わり歴代の三冠王のフィルムを放送していたからだ。この中で落合選手も当然出てきたが、僕は彼の全盛時代を見ていない。だけど分かるのは彼の人並みはずれた落ち着き振りが野球をプレイする上でプラスになっただろう、と言う事。
完璧なメンタル・コントロールができていたのだろう。またこの話しか、とうんざりされるのを承知で言うのだが、今日の上原の素晴らしいピッチングを見ていても思うのである。5月頃からこの上原というのはスゴイやつだ、と分かってはいたが敵ながらほれぼれしてしまう。日本の選手にもメジャーで通用する精神を兼ね備えた男達がいる。上原しかり、今は不調だが高橋由伸もそうだ。この論議はあーだ、こーだ言っててもきりがないのだがこういう選手を見て欲しい。彼等の素晴らしい点はピンチでもひょうひょうとした表情を見せるところだ。とても落ち着いて見えるのだ。そのプレーはいつも自信に満ち、疲れているようでもふんばれる底力を感じる。まだプロ入り一、二年というのに。 彼等などは全てにおいてメジャー級の選手だと思っている。


 投手中心のチームは短期決戦に弱い?&左対左の不思議;1999/11

さて、99年の野球シーズンも日本シリーズ、ワールドシリーズ同日閉幕で終了しましたが、このシリーズを振り返って一つの共通点に気が付きました。それは日米ともピッチャー重視のチームがあっさり敗退したという事です。短期決戦においてピッチャー中心型のチームは不利なのでしょうか?分析したいと思います。

まず中日ドラゴンズ。以前夏場に横浜ベイスターズIFCに投稿したものがあるので読んで下さい。
 
<<今年の中日は確かに強い。ナゴヤ・ドームで3年目のシーズンになるがこの3年でチームは大変貌を遂げた。なんといっても投手力の目立つチームに変わったのであるがまず特筆すべきなのは左投手の豊富さだ。元々、山本昌、野口、今中という先発のコマを擁している上に、リリーフで前田、日笠、サムソン、岩瀬らが活躍している。登録されている投手33人のうち実に13人が左投手だ。ちなみに横浜のレイシオは26人中5人となる。投手登録が横浜より7人も多いだけでなく、左投手は8人も多い(シーズン前の選手登録)。なぜそうしたのであろうか?

ナゴヤ・ドームに移ってから過去の恐竜打線を捨て投手中心のチームを築いた。ホームグラウンドでの地の利を活かそうとした為である。まず球場が広く、フェンスが高い。それに加えて公式戦公認球の内で最も飛ばないボールを使用している。それゆえにナゴヤ・ドームでは投手戦が多い。投手はホームランを打たれる危険性が低いがゆえ思いきって高めを攻める事ができる。多少の失投でも命取りになる事が少ない。だから投手優位の球場なのだ。
 
では何故ここまで多くの左投手を集めたのだろうか?

それはもちろん左打者対策である。左対左の有利さ.....不思議なようであるがその理由を以下に述べる。
まず左利きが少ないという事実がある。日本人の5%〜10%しかいない。以前は日常生活において左利きは不便になる事が多く、親が左利きの子供を右利きに矯正する事がしばしばあった。現代では左利きの人たちを考慮した生活環境が整った為、左利きが増えている。それで5%〜10%という数字が出てくるわけだが専門家の話しによると10%以上にはならないらしい。とりあえず中間値を用い左利きは大体15人に一人程度と言っても構わないと思う。 それなのにプロ野球のピッチャーは左利きの比率が多い。中日は3人に一人以上の割合だ。

しかし実をいうと左投手に逸材は少ない。大体の左投手はスピードがない。スピードがあってもコントロールが悪い(例、石井一、岡島、角)。もし両方兼ね備えていたらとんでもない逸材となる(例、金田正一、江夏豊)。が、そんなピッチャーはめったに出てこない。なぜなら人間の絶対的な急所である心臓が左に位置しているからだとされる。左肩のすぐ下にある心臓をかばってしまうため思い切り投げるのとコントロールをつけるのが難しく、体力の消耗も早いらしい。
殆どの左投手には素晴らしいボールを投げる事は期待されていない。平均点程度のボールでもコントロールさえあれば活躍できるからだ。例えば阪神の遠山は一時期、野手に転向、投手に最転向後、今年は2年目。ただ遅いカーブがコントロール良く外角に決まるだけだ。それで松井や由伸を封じている。なぜリーグ随一の左打者が威力もないボールに翻弄されるのか。

まず左対左の対決する機会が少ないという事実がある。しかしそれより大きい要因は練習で左投手の「生きた」ボールを打つ機会が少ないからだ。なぜならもし左投手で良いボールを投げ、コントロールも良かったら打撃投手などやっていない。実戦で使われているだろう。
いくら左対左でも真ん中に投げたら簡単に打たれる(昨夜の巨人・河野がペタジーニに投じた一球など良い例だ)。しかし外に逃げてゆく様な変化球は実に有効だ。もちろんこれは右対右にも言える。ストライクゾーンから外にはずれてゆく変化球は見極めが難しい。しかし練習で繰り返し打つ事によって対応できるようになる。なぜなら右投手はいくらでもいるので優秀な打撃投手もいる(御存じの通り横浜ベイスターズ・西投手は打撃投手を何年かやっていた)。左の優秀な打撃投手はいない.....。

理由はこれだけではないだろうが左対左の対決は投手が有利である、というのが野球の常識だ。これはもちろんアメリカでもそうである。ただ、左投手は実際、威力のあるボールを投げる、また良いコントロールを持っている人が少ない為、左投手に対して良い成績を残している左打者も多い。 

本来、右投手の数が多いので打者は左が増えた。投げるのと違って右利きでも左打ちに転向するのは比較的間単だ。左打ちは一塁ベースに近い等、有利な条件が多い。セ・リーグの打撃成績の上位には右投げ左打ちが圧倒的に多い(尚典、タクロー、由伸、関川、松井、清水....)。そこで現代では左の優秀な投手は実に貴重なのだ。

その点に着目して左腕投手を集めた中日のチーム作りは成功している。>>>

以上です。まあ、中日の投手力が素晴らしいというのは見ていたら誰でも分かると思います。次にアトランタ・ブレ−ヴスです。

ブレーヴスはこのシリーズ前まで90年代最強と言われた。8シーズン連続地区優勝は記録だ。しかし実はそれ以前ずうっと弱小チームだった。70〜80年代を通して地区優勝が82年の1回だけ、しかもプレーオフでストレート負け。オーナーのCNN社長テッド・ターナーは本当に野球好きで、77年にはチームの不振に怒りが爆発、なんと監督をやると言い出し、ユニフォームを着て采配を振るった。もちろん規約違反ですぐにクレームがつき、0勝1敗の成績を残しグランドから閉め出されたがそれほどの野球狂だ。

この頃のブレーヴスといったら何と言ってもハンク・アーロン。この大打者を中心に打撃のチームだった。80年代に入ってからはボブ・ホーナー、デール・マーフィーといったスラッガーを中心にした打撃のチーム。ホーナーはヤクルトで1年プレーしたので知っている人も多いだろう。確か開幕戦で3ホーマー、開幕3試合で計5ホーマーを放ち、パワーを見せつけたがシーズン途中でリタイア、帰国後日本の野球はベースボールじゃない、という内容の本を書いた男だ。しかし88〜90年と3年連続最下位、相変わらず弱かった。
そこでターナーは考えたのだと思う。チームの再建を投手力に託したのではないだろうか。なにせCNNの社長、そして奥さんが大女優のジェーン・フォンダという華やかさがあるので金をつぎ込み強くした、というイメージはあるかも知れないがそれは違う。現在のブレーヴスを支えるピッチャー達はいずれもチームが育てたのだ。

ジョン・スモルツは87年、ドイル・アレキサンダーというヴェテラン選手との交換トレードでタイガースから獲得した。当時スモルツは全く無名の若干20歳だった。グレッグ・マダックスも26歳の時シカゴ・カブスで初の20勝を達成した後、トレードでやってきた。トム・グラヴィンはドラフトで獲得した生え抜きの選手だ。そして昨年17勝で頭角を現わし、今年も18勝、防御率2・68はリーグ2位だったケヴィン・ミルウッドはまだ24歳。ブレーヴスのピッチャー達には専門のカウンセラーが付き、精神面でのケアを行っているらしい。投手王国ブレーヴスは決して金で作られたわけではない。

以上ですが、いかにこの2チームがピッチャーを軸にチームを作ったかが分かると思います。しかしブレーヴスは90年代ワールドシリーズまで勝ち進んだのが5回、結局1勝4敗でした(なんと現在WS8連敗)。やはり短期決戦に弱いというレッテルを貼られてしまったのです。
一方の中日もシリーズ見事に完敗。考えてみれば昨年も打のチームである横浜ベイスターズが日本シリーズで常勝と言われた時代もあった西武を楽々とくだしました。何となく今までも打のチームがシリーズで爆発してきたような気がします。投のチームは短期決戦に不利なのでしょうか? 

(以下はその後日の投稿)

それはともかくこの論議についてですが、まだ引っ掛かるものがあり再度投稿します。そもそも僕がこのように感じたのはアトランタ・ブレ−ヴスの戦い振りを見てからです。どうしても納得いかないのです。

90年代を通してブレーヴスは実に安定した成績を残しました。ストライキで打ち切りになった94年をはさんで8年連続地区優勝。手元にデータはありませんが殆ど毎年余裕で優勝していたように思います。90年代を通してレギュラー・シーズンの勝ち星のトータルはヤンキースより100以上多い断トツの強さだったわけです。しかしワールド・チャンピオンに輝いたのはわずか1回(95年)。ワールド・シリーズ自体は1勝4敗ですが、プレーオフで敗退した分も含めると1勝7敗という事になります。今年はトム・グラヴィンの登板回避や守備の乱れ等、色々な敗因はあると思います。しかし8年間で7回負けたというのは、「たまたま調子が悪かった」「ついてなかった」などの理由ではないと思います。何故あの素晴らしい投手陣がシリーズにおいて活躍できないのでしょう?本来ならこういった短期決戦では経験がモノを言うはずです。それが毎年シリーズで経験を積んでいるというのに......。

僕はブレーヴスのファンではないのですが疑問でなりません。なぜブレーヴスが短期決戦に弱いかと考えると、先程アップした理由以外に思いつくのが(これはワールド・シリーズにおいてですが)
1、DH制度のあるアメリカン・リーグが有利である。
2、ただ単純にアメリカン・リーグのチカラが上である。
う〜ん、わかりません。やっぱり短期決戦では打撃の中心に恐いスラッガーがいるチームの方が強いような気がするのです。やはり子供の頃のONとか(なにせあの頃のジャイアンツは9年連続日本シリーズ制覇でした)、長池・加藤秀・福本らのいた阪急(シリーズ3連覇)など。
それともやはり見方を変えて優秀なピッチャーの中には短期決戦でチカラを発揮できないタイプもいる、という事でしょうか?

佐々木主浩に送るエール:1999/11

いよいよ佐々木がメジャーの球団との交渉のため渡米しました。テレビでその出発を見て僕は今、嬉しくもあり、不安でもあり、残念でもあり、とても複雑な心境です。でも間違い無く本人はもっと複雑でしょう。

思えば97年、佐々木がニュース・ステーションに出演し、メジャーに対する熱い思いを語ったその目を見た時、僕は確信しました。この男はいつかメジャーに行くと。この日が来る事はわかっていました。しかし、今の僕にはあまりにも思い出す事がありすぎ、昨日から胸が締め付けられるような思いです。
今日は昔話になりますがを聞いて欲しいのです。かなりプライベートな話しですが.....。

僕は小学生の頃から熱烈な大洋ファンでした。埼玉の自宅から電車を乗り継ぎ川崎球場へ大洋の応援にも行ったほどです。全試合の新聞記事をスクラップ・ブックに貼り、大洋の事はなんでも知っていました。特にライオン丸シピンのファンで、プレーするのも随分熱心に取り組んでやりましたが、とてもプロ選手になれる才能はありませんでした。やがて音楽を志し、僕はギター1本持ってアメリカに行ったのです。野球からも大洋からも段々と離れていきました。

あれは85年頃だったでしょうか、あの頃、夜はビバリ−・ヒルズのレストレンの掃除をする仕事をしていました。もちろん昼間も別の仕事で働いていたわけですが。掃除の仕事はもう2人の日本人と一緒にやっていました。彼等は元日本のプロ野球選手でハーフの兄弟でした。僕らはすぐに打ち解け、彼等の父親があの野村克也だと知るのにそうは時間はかからなかったのです。仕事の合間にいつも野球の話しをしました。特に弟のケニ−さんは何でも話してくれたのですが、ある日一つのニュースが僕らを興奮させたのです。
それは日本球界を引退した江夏豊がアメリカに来てメジャーに挑戦する、というニュースでした。そしてその代理人を兄のダンさんがつとめる事になったのです。僕らは顔を合わす度、江夏はどんな調子だ、可能性はあるとかないとか、不安と期待を持って話しました。でもやはりわかっていました。とうに全盛期を過ぎた江夏にチャンスはない事を。やがてメジャーから声のかかる事なく、江夏は日本に帰って行ったわけですがその時から僕は信じていました。いつか、日本からもっと若い選手が来てメジャーに挑んでくれる事を。

それから10年の歳月が過ぎ、一人の若者がアメリカにやって来ました。その名は野茂英雄。奇しくもヒーローは僕の住んでいる地元ロサンジェルスのチームに入団、そしてその代理人はダン野村氏でした。野茂の初登板の日、なぜかテレビでの中継はありませんでした。正直言って期待されてなかったのです。ドジャースもアメリカの野球ファンも、そして日本人も。日本人は恥さらしになるだけだ、と冷たく言いましたが僕は信じていました。そしてラジオにかじりつくようにしてその時を待ちわびたのです。その1球が投じられた時の感動を僕は一生忘れないでしょう。これが新しい歴史の始まりなんだ、と確信しました。
 
アメリカで日本人が認めてもらうというのは大変な事です。僕は何年も努力を重ねましたが、その分厚い壁の前でもがいていたのです。なぜ、日本の選手がメジャーに挑戦しないのか、失望さえしていました。いや、時間の問題であったのだろうけど僕にとっては時間がかかり過ぎだったのです。しかし野茂の入団でメジャーの分布図は大きく書き換えられていきました。時代は変わったのです。それまで3Aレベルだと馬鹿にしていたアメリカ人の日本の野球に対する考えは変わりました。やがては日本人全体に対する考えも変わってゆくはずです。
96年に帰国した僕は横浜ベイスターズと生まれ変わったこのチームに再び夢中になり、昨年は優勝の喜びまでいただきました。その立て役者は大魔神、佐々木主浩。そして今、佐々木はベイスターズを去ってメジャーに挑むのです。
みなさんに僕の心境を理解していただけるか、わかりません。自分でも不思議な心境です。ただ一つ言えるのは佐々木主浩を誇りに思っている事です。心からエールを送りたい一心です。色々言う人はいますが、僕は初めから理解できていました。佐々木の気持ちを。
強く、大きく、広く、果てしない願望を持った男に雑音は不要です。何も出来ない、やろうとしない小さな人間には分かりません。僕にとって野球とはただの娯楽ではないのです。

佐々木主浩様、僕はあなたを誇りに思いユニフォームを脱ぐ日まで精一杯の声援を送り続けます。


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